文章

先輩にあたるid:svnseedsさんのはてなダイアリーになかなか楽しいネタがあがっている。

会社でもいろいろ企画書を良く読むのだけれど、ハマってるのが多い。最後まで読まなきゃわからんのか。

教育方針の間違いとして最たるものが、明確なメソッドなしに文章/図画教育において作品を作り出すための教育が行われていることだ。作品を作る以前に基本的な意思伝達ツールとして文章と図画を扱う技術が教育されていないことも問題だが、そもそも作品を作らせる意図自体に問題がある。

自我の芽生えていない子供に自由作文や自由絵画を強要すること自体に無理がある。へたくそな文章や絵が「子供らしい」という評価を受ける土壌が、論理的な思考や(他言語も含め)コミュニケーション能力の低下を招いているんじゃないだろうか。

で、こんなことを言うと創造力の低下が云々という反論が予想されちゃうんだけど、創造活動が行える自我は技術教育なんかで駄目になりはしない。子供の未完成な発想力から出てくるモノはときにすばらしいアートの芽を持っていることがある。その芽を伸ばし、より多くの人にアートを伝えるために作文や図の技法を修練することは必要なんだ。

4件のコメント

  1. ちょっと賛成しかねる部分もあるなぁ。(笑)
    初等美術教育で“表現技術より中身”という傾向が強いのは確か。つまり自我確立の道具として位置づけているわけですね。これは日本に限ったことじゃないです。「技術教育が自我の育成を阻害した」ことが事実あったことから、そうなったのですが、この方法が本当に自我形成に役立っているかは問題視されてます。子供は大人の思惑と関係なく行動しますから、当然偽装もします。つまり子供が本当に何を考えているのか理解するのは困難です。それなのに一対多で情操教育しようというのが、そもそも無理。
    じゃあどうすれば良いのかと言うと、「観察、思索、伝達」全部大事だということをわかった上で個人指導に近い形でやる分にはメソッドはどれでも良いと思う。だけど、3つのバランスをわからせるには全プロセスをシステマティックに踏ませた方が良いでしょうね。
    …あ!ネタの方は面白かったです。その偏り加減まで含めて。
    表現分析はあってるけど情操教育対策にそこから入ってどうする!(笑)

  2. マンツーマンで観察・思索・伝達のプロセスをすべてシステマティクに踏ませることができれば、それはすばらしいことでしょう。
    ただ、伝達の部分だけでもできてくれないと、中身を醸成するためのコミュニケーションすらできない……というかなにいってんのかわかんねーよ、ということが最近甚だしく多くて(嘆息)……ってこれ、今の大人に対する愚痴ですね。

  3. 大人と言うか、受験勉強の大半がコミュニケーション能力の向上に役立ってないのは確かでしょうね。だからドラゴン桜が新鮮に見える(笑)….ちなみに読んでわからん内容というのは一部の例外を除いて「思索」からして未熟なことも多いですよね。つまり、玉石混交かつ原石状態で、さらに石が磨いてあったりする。(爆)
    いかん、自分の首もしまってきた。

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