Voodoo

大学以来の友人と数年ぶりに会った。彼はいま、とある業界で海外のエンジニアと日本のプロダクションの間をとりもつコーディネータとして活動しているとのことだ。

大学の学生会館で交わしていたような歓談で何度も登場したキーワードは「ブードゥ」だった。「あの業界はブードゥなんだよね」と彼は言う。

デジタルメディアでの複製行為が劣化を伴う(かもしれない)から、見てないところ(彼の事務所)でやってもらうとか、デジタル編集されたはずのソースがアナログメディアでやってくるなんてことが日時用茶飯事らしい。まさにブードゥ。

コンピュータやプログラムに関する話ならこうやって他人がやってるブードゥを笑えるのだけど、迷信って動物全般で見られる衝動なのではないだろうか。迷信と言って悪ければ、直面した事象の原因を推理することって言い換えてみよう。それはとても自然な行為だし「自分で考える」ってのは美徳とすら考えられる。でも、データやセオリーが足りなければ、推理は容易に迷信に陥る。

虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか
虹の解体―いかにして科学は驚異への扉を開いたか Richard Dawkins 福岡 伸一

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stars科学は詩的である
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stars科学を理解すれば、自然の仕組みに感動する。

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リチャード・ドーキンスの「虹の解体」で紹介されている話は興味深い。スィッチボックスを使った実験を行うと動物すら迷信にハマるという。スイッチボックスは部屋の中にあるスイッチを操作するとご褒美として餌を出す実験装置で、主に動物の学習能力を調べるために使われるのだが、ランダムに餌を出すと、被験者は餌を得るために様々な「ブードゥ」を行うらしい。右に三回回ってスイッチを押す、壁に頭を刷りつけるなんてことをする。ブードゥダンスの発生。

この悪魔のような実験が示唆するのは、意味付けという行為が本能に根ざす可能性があるってことだ。

常にデータやセオリーが足りない状態で直面する事象に意味付けすることが業務となりがちな分野がある。マーケティングだ。下手すると売り上げ実数すらわからない(BCNのiPodシェアが実感と大きくずれているのは、BCNでAppleStoreが集計されないからだ)状態で、事象のセオリーを導き出し、将来の行動を決めなければならない。

結局マーケティング会議に参加したメンバーの経験から、毎回少しづつ違ったセオリーが生み出される。

「赤くしたらいいんじゃないか?」

概ね、間違う。

ちょうど彼が来る前日に、別の友人の薦めでスピーカーケーブルを交換していた。今まで使っていたピュアオーディオ用の600円/mのケーブルから、250円/mのPA用ケーブルに交換したら音が劇的に良くなった。もしもこれが、1,000円/mのケーブルで理由も聞かされずよくなっていたとしたら、音源にかけるべきコストをケーブルにに捧げていたかもしれない。ブードゥオーディオの気持ちがよく理解できた。危ないところだった。

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